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不思議なご縁で、またカフェを。
名鉄豊田市駅の西口広場で、かつて黄色いワンボックスの移動カフェが毎日営業していたのを覚えている人は、いったいどれくらいいるのでしょうか。
私自身、あの場所で何年間も毎日のように、お客様のためにコーヒーをドリップし、カプチーノを作り、お客様と会話に花を咲かせていたあの日々を、もしかしたら夢だったんじゃないかと思うほど月日は流れました。

あれからいろんなことがあって、東北の震災が起き、私の息子が亡くなり、災害救援のNPOの職員になり数年間を過ごしてまいりました。

思うところあって、この4月末にいったん仕事を全て辞めよう、と思い退職し、一ヶ月ほど静かに家にいたのですが、本当に不思議なご縁というか、応援してくださる方がまた現れたというか、退職した時にはこれっぽっちも考えていなかった、カフェのオープンがあれよあれよという間に決定してしまいました。7月中にはオープンします。

急すぎて、コーヒー豆の仕入れから、メニューの選定から、店舗の改装工事(居抜き物件なので)から椅子やテーブルの発注に至るまで、本当にバタバタした日々を送っております。

店名は、「The third place」をまた使おうかともちらっと考えたのですが、場所や物件を用意してくださった方の思いなどを含め、間もなく決定しそうです。

オープンの日なども含め、近々またご案内いたしますので、もし、まだここをご覧になっているかつてのお客様などがいらっしゃいましたら、このブログをご覧になってお越しいただいたお客様限定の特典をご用意させていただきますので、しばらくお待ちくださいませ。

人間、何があっても、自分が愚かな人間とわかってもなお、生きていかなきゃならないと、私はこの数年で学びました。
きっとそんな人は、この世にあふれるほどいると思います。そんな方たちが、コーヒー一杯を飲んで息をつく、そんなカフェをまた目指したいと思っています。

さまざまな形でお気遣いくださった皆様、こんな私に機会をくださった皆様、本当にありがとうございました。
またお元気な姿でお目にかかります^^
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私のルーツを辿る旅。

私のルーツは鹿児島にあります。これは約40年ぶりの鹿児島の海。ただいま。
今、私がしていること。
ご無沙汰しております。皆様日常を変わりなく過ごしていらっしゃいますか?

私は、前回記事を書いたあたり(正確に言えば震災の後)から、身の回りが大きく変わっています。

今、私が何をしているか。

実は東日本大震災に関するボランティアを少し手伝っております。

まず震災の数日後に、被災者を個人宅へ受け入れるボランティアというものに登録しました。

当初私が一番気がかりだったのは、赤ちゃんや小さいお子さんやそのお母さん。
着の身着のまま放り出され、寒い避難所で、赤ちゃんが泣くたびに周りに気をつかったりと、
きっとお母さんは身の縮む思いでいるだろうと心配でした。

寒い床の上で、プライバシーもなく、子供を守るために必死で、きっと自分が
疲れていることにさえ気付かないほど疲弊しているのではないかと思いました。

そういったお母さんや赤ちゃんに、短期でも長期でも、体をゆっくり休めてもらって
まずは気力体力を取り戻してもらいたい、と、思いました。生活の目処がつくまで
いてもらえばいいと思いました。

もし私に、念願のカフェ物件が見つかっていて、お店を始めていたらきっと
こういったボランティアも到底無理な話だったと思います。


さて。
私が次に考えたのが、被災して家を失った方や地元に住めなくなった方達が、親戚や
友人を頼って全国に散ってからのこと。

いつ帰れるのか目処もつかず、生活に不安もあるだろう彼らが、慣れない土地で
同じ状況の人達と知り合えたらどれだけ心強いだろう、と思いました。

私たちがどんなに心配しても、被災された方の気持ちを想像しても、所詮それは
想像でしかなく、本当に彼らの苦悩を理解することはできないのです。
彼らを癒せるのは、同じ状況の人達でしかない、と思いました。

ということで、孤独になりがちな彼らが出会える場所をどうにか提供できないだろうか、
と考えました。

・・・そして今、愛知県に避難されてきている皆さん同士の交流会を企画しています。

またその話はおいおい。

ということで、忙しくしております。元気です。

皆様も、梅雨のじめじめに負けずお元気でお過ごしくださいね。





~1人でも、彼の地から逃れてきた人が、逃れた先でなお孤独を感じたり
辛い思いをしませんように。それはその人の置かれた状況に決して関わらず。
フィギュアスケート
フィギュアスケート、高校生の頃から興味がありました。理由はかつてジャンプで一世を風靡した「伊藤みどり」さん。私と同じ年なのです。同じ愛知県に住んでいる同じ年の女子高生が、世界を舞台に活躍されているのを身内の事のように喜んで観ていた記憶があります。いつの大会だったか覚えてませんがトリプルアクセルが成功しガッツポーズしながら演技を続ける姿に、ちょっと笑ったりしたっけ。

愛知県がフィギュア王国ということもあり、常に気になる競技ですが、一昨日のフィギュアのSPで、安藤美姫さんの演技を観ていて思い出したのが、カタリーナ・ビット。

いつの競技だったかすっかり忘れましたが、彼女が「花は何処へ行った」という反戦歌とともに舞った演技は今でも強烈に記憶にあって、フィギュアを観て初めて涙が出たような気がします。

「花は何処へ行った」という曲が反戦歌ということを、中学時代の英語の先生が、歌詞の意味も踏まえて教えてくれた(歌詞を暗記させられた)おかげもあるかもしれませんが。

ネットで調べてみたら、あったあった。すごいですねYouTube。1994年のリレハンメルオリンピックで、プロからアマに戻り出場権を獲得したカタリーナ・ビット。当時のサラエボの内戦を憂えた彼女が、反戦の思いを世界中に発信するためにオリンピックの出場枠を獲得したというものでした(忘れていましたが検索して思い出しました)。当時の演技も動画で残っています。

当時はジャンプ合戦が激しくなってきた頃だったかな。その中でのビットの舞は返って目立っていたような記憶もあります。

一昨日の安藤美姫さんのショートプログラムでの演技は、あの時のカタリーナ・ビットとかぶって見えました。被災した東北の方々への応援の気持ちを込めての演技だったとご本人のコメントがあり、ああやっぱりね、と思ったのでした。エキシビションも素晴らしかったですが、私にはショートプログラムの方が良かったと思ったのはなぜかなぁ?

そうそう、安藤美姫さんが何年か前、一番調子の悪かった時の演技で、ジャンプを悉く失敗し、転倒を繰り返し、それでも棄権せずに最後まで滑ったあの時も、涙したっけ。最後まで滑りきらなければ、という一心で演技する必死な姿に涙したのは、決して同情ではなく、賞賛だったと思うのです。メンタル的な弱さを指摘されてもいましたが、私はそうは思わなかった。

見事でしたね安藤美姫。
「泥流地帯」
今回の震災で、多くのメディアがこぞって伝えようとしているのが
「普通の暮らしをしてきたはずの人達を襲った悲劇」。

新聞でもテレビでも、健気に振舞う人々を映し、贈られたランドセルを
背負っている子供を追ったり、家族や知人を助けようとして自らが
犠牲になった人と残された家族を映したり。

そうなのだ。数え切れないほど存在したはずののささやかな幸せを、
津波はいともあっさりと奪っていった。

そんな報道を見ていて思い出したのが、作家の故三浦綾子。

高校生の頃、彼女の「泥流地帯」という作品を読んだ。

あらすじは正にそれ。北海道開拓に夢をもって入植した家族の、
貧しく辛く、でも暖かい家庭を描き、そしてその家族を山の噴火と
山津波が襲う。

真面目に一生懸命にそして慎ましく生きてきたはずの、なんの罪も
ない人達から山津波は全てを奪ってしまう。一生懸命耕した畑も無に帰る。

山津波に飲み込まれた家族を助けようと我が身を顧みず泥に飛び込み、
奇跡的に生き延びた兄に、弟が言う。真面目に生きてきたのに(彼らの
祖父が一番苦労して、やっと報われようとした矢先だった)、なんで
こんなことになるのか、神様はいないのか、こんなことなら真面目に
生きるのがバカらしい。というような感じ(手元に本がないのでうろ覚え)?

でも兄はその問いかけにこう答える
「それでも自分は(も?)、生まれかわったとしても、また同じように
くそ真面目に生きると思う」。

・・・・

高校生だった私は大いに腹を立てた。

それまでも三浦綾子の本は何冊も読んできた。最初は中一の時に読んだ
「塩狩峠」。これには衝撃を受けた。本を読んで初めて泣いた。そして
やっぱり怒りを覚えた。三浦綾子は、真面目につつましく生きる人達こ
れでもかこれでもかと試練を与えるような作品ばかり書くのだ。
「海嶺」だってそうだ。初めての和訳聖書を作った音吉だって、結局
生きているうちは日本の土を踏めなかった(これは史実に基づいて描かれた
ものだけど)。

そして泥流地帯で決定的に腹を立てた私は、三浦さんに手紙を書いた。

「あなたの作品には、そしてあなたの心には”勧善懲悪”という言葉は
ないのか?なぜ”めでたしめでたし”という話を書かないのか?
なぜ真面目な人が悲しい結末を迎えるような作品ばかり書くのか?」
というような内容だったと思う。

住所なんてもちろん知らなかったので、ダメ元で出版社に託したら、
ちゃんと本人に届けましたよ、とわざわざ返事のハガキをいただいた。
今後の事も考えてくださったのか、彼女の住所まで教えていただいた
(現在ではありえない対応ですね)。

そしてなんと、ほどなくしてご本人から手紙が届いた。

「もっともっと作品を読んでください。読んでいくうちにいつかきっと
わかる時がきます。」という内容だった。当時、既に病んでいてご主人の
代筆で、文末の署名だけがご本人という手紙。

その後も数回やりとりをした。彼女の作品のひとつに知多半島は小野浦の偉人
「音吉」を題材にしたものがあり、彼女は取材のために何度も知多半島を訪れ
たと言い、お世話になった牧師さんを紹介してくれたりと優しい返事ばかりだった。

でも彼女が生きているうちは結局、彼女の作品の意図を理解はできても納得は
できなかった。

今?今はたぶん、なんとなくわかる。それはやっぱり自分がもう40年以上も
生きてきたからだと思う(あ、今月で42歳だわ自分)。

しかしやはり、真面目に生きていればいつか幸せになれるはず、という人間の
願いや期待は、こうもむなしいものなのかとこうして思い知る。

それでも今は自宅のあったはずの土地に膝をつき、土を握り締めるしかできない
人達に、いつかきっと立ち上がる力が湧いてきますように。

プロフィール

Lazy Betty

Author:Lazy Betty
元・移動カフェオーナーの新たな野望を実現させるまでの軌跡(奇跡じゃないよ)のブログです。

愛知県豊田市駅前にてコーヒー屋台(移動カフェ)営業をしておりました。
その3年間に渡る定点観測の経験から、駅周辺に集う人々が何を求め、どんな場所を必要としているかを観察し続けた先にあるものを共有できれば幸いです。

2009年12月~2010年11月まで、豊田市駅近くの「Bar old kenny」にて、昼間カフェ部門として「The third place」を展開しておりました。現在はフリーで、傾聴屋、デリバリーのコーヒーサービスをお請けしております。

家庭ではなく、職場でもない、お客様にとって三番目の居場所を作りたいと思っています。しがらみのない、肩書きも必要ない、そんな緩やかな時間をお過ごしください。

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