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15年ぶりの再会
思えば移動カフェ時代から、ちょくちょくありましたが。

数日前に久しぶりにありました。何年かぶりに当店で再会を果たしたお客様方。

UさんとNさん。どちらも以前からのお客様でしたが、私もまさかこのお二人が知り合いだなんてつゆほども思わず。

下を向いていたUさんがあれっという顔で他のお客様と会話していたNさんを見、恐る恐る「もしかして○○さん?(旧姓)」って。

Nさんも「えっ?・・・そうですけど・・・あ?えーっ?Uくん??」って。
15年ぶりの再会だそうです。どちらも当時から外見が変わったらしく(15年もたてばねえ)、でも声と話し方で気づいたそうで。

高校は違っていたそうですが、高校生主体のボランティア活動で中心的に動いていたメンバー同士らしく、同窓生でもないので連絡を取る機会もなかったそうなのですが、Nさんが「あの時のみんな、今どうしてるんだろう」と最近急に思い出したばかりだそうです。そしたらこんなところで再会!すごいわーって(笑)。

そういうことってあるんですね。みんなどっかで繋がってるんですね。
お二人とも話が尽きることなく、さらにもう一人の仲間にまで電話で呼び出し、大盛り上がりだったのでした。不思議とみなさん、現在の趣味が共通していて、そちらでも盛り上がったこと!

良いものを見せていただけました。
こういう時、我ながら幸せな仕事だと思うのでした。

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介護社会
我が家が購読している某新聞で、少し前まで認知症とそれを取り巻く社会の問題についての特集が連載されていました。認知症の母親を一人で介護し続けた挙句の尊属殺人の事件を追いながら問題を探るものでした。

連載はとても興味深く、毎回何度も読み返しました。それは知人の環境と状況が酷似していたのです。

数年前のことですが、彼は私がコーヒー屋台をしていた時のお客様でした。当時40代後半。
平日の昼間に気楽な服装でブラリとお立ち寄りくださるため、普通の会社員とは思えませんでしたが、その通り、自宅でwebデザインの仕事をしているとのことでした。

毎週2,3回お越しいただいているうちに、彼は少しずつご自身の身の回りのことを話してくださるようになったのですが、それが「認知症の母親と二人暮らし」だったのです。
その二年ほど前に父親を亡くしてから急に症状の進んだ母親の話を「ヤカンは笛吹きケトルにしても何度も使えなくなり、鍋も何度真っ黒にしたかわからない」と言い、彼には二人の妹さんがいらっしゃいましたがどちらも嫁いでいたので、独身だった彼が成り行きで介護することになったのは自然なことだったと思います。

彼が当店の前でベンチに座ってコーヒーを飲んでいると携帯がなることが何度かありました。薬で眠っている合間に当店でコーヒーを飲んだり用事を済ませたりしているとのことでしたが、起きてしまうこともあるのでしょう。私に聞こえないように少し離れた場所で、電話口で母親に電子レンジの使い方を教えていて、「だから、その赤いボタンを押すんだよ。昨日はできたじゃない!」と声を荒げているのが聞こえてしまったこともあり、認知症というのは本当に、昨日できていたことが今日できなくなるんだ、と改めて知ったのでした。

「もし起きた時のために、お皿にラップしてテーブルに置いてきたんだ。レンジで温めるようにメモを書いて。ふざけているのかと思うくらいだよ」と言われていたのが印象的でした。

そんな彼自身も、いろんな持病を持っていて、常に薬を手放せない生活でした。

彼が当店にお越しくださるようになって半年ほどたった頃、彼は体の不調のため検査したところリンパ腫が発見されました。リンパ腫とはいっても良性と悪性とあるそうで、精密検査を一週間後にしないといけないと彼は言いました。

「検査で一日家を空けるのも大変なのに、リンパ腫なんてやっかいな病気でもし長い入院になったら、母の面倒と飼っている猫達の面倒を、一体どうすればいいんだろう」と彼は言いました。車で30分ほどの場所に叔父夫婦が住んでみえるとのことでしたが、頼るのも申し訳ないし、と言っていました。

口には出しませんでしたが、きっとお母様の面倒だけでなく、入院中の自分の世話を頼める人もいなかったのを気に病んでいるようでした。

私は、自分の経験のなさからうまく答えて上げられずに歯がゆい思いをしたのですが、その翌日、彼は自殺しました。
知れば知るほど穏やかで優しい方でしたので、ずっと抱え込んでいたのでしょう。それに様々な病気を抱えていて、もう疲れてしまったのだと思います。

私は今でも、あの時の彼に、もっとしてあげられることがあったのではないかと自問自答します。

私の無知と不勉強が、彼を死に追いやったのではないかと自分を責めました。一ヶ月で体重も5,6キロ落ちました。
コーヒー屋台の車を運転して仕事場に向かう途中で、胸がくるしくなり涙が止まらなくなり、しばらく休業せざるを得ませんでした。

彼がそれなりの機関に相談するように勧めたり、なにかできることがあったのではないか、もし私がもっともっと認知症や、それを取り巻く社会のことを知っていたら、お身内に実情を伝えていたら、などと、考えは尽きません。

彼が亡くなった後に何度か彼の上の妹さんと話す機会がありました。お母様は結局、上の妹さんが引き取られたのですが、「まさかこんなに母の状態が悪くなっているなんて夢にも思わなかった。電話してもいつも“大丈夫大丈夫、そんなに大したことないから”としか兄は言わなくて、それを真に受けてこまめに様子を見に行かなかったことが悔やまれる。母親なのに、全く目が放せなくて、一日中気が抜けない。こんなに大変なことを兄にまかせっきりにしていて申し訳なかった」とおっしゃっていました。彼女も、それまでのフルタイムの仕事をやめて自宅でお母様を介護しているとのことでした(現在の状況は全くわかりませんが)。

いろんな人がお店に来ます。
その人が抱えているものを話したい時にちゃんと聞いてあげることができ、話したくないけれどたまには外に出て息抜きしたい人をそっとしておいてあげられるような、間口の広いバリアフリーのお店を作るべく、物件探しをしています。

傍からみたら全く問題ないようでも、気持ちを病んでいる人も意外と多いので、しかるべきときに、しかるべき機関を紹介してあげられるように知識も蓄えるべく日々勉強しております。

前出の彼は、赤の他人でしかない「コーヒー屋の人」だからこそ、気楽に御自身の身の上を話してくださっていたようで、生活の大変さを仕事上の付き合いのあった方や妹さんたちには決して話していなかった。深い悩みこそ、近い人には言えないということは心理なのだと思います。

私はそんな人達にとって、いかに「誠実な通りすがり」になれるのか、まだまだこれという方法は見つけられないのですが、それでも公的な機関には気後れする人達と機関との橋渡しになれればと思っています。

彼の場合は自殺だったため、事件としては扱われませんでしたが、間違いなく介護社会の問題の一面であると思うのです。
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ファミリアストレンジャーその2
「ファミリアストレンジャー」と言う言葉をご存知ですか?
生活の中で、普段寄るコンビニの店員さんとか、通勤電車の中で見かける人とか
お互いに相手の素性は知らなくても、すっかり顔なじみになっている見慣れた他人
とでもいいましょうか。
以前にもその話題でブログに書いたことがあります(2008年5月)。

数日前、またもやそんなファミリアストレンジャーな男性がご来店されまして。

実はお店に入ってこられた時、あまりに見慣れたお顔なので「こんにちはー」と
ご挨拶したのですが、あれ?よくよく考えてみると、一年以上お会いしていない方
だったのです。
というか、そもそもその方のお名前ももちろん存じ上げず、ただ移動カフェ時代に、
当店の前を行き来する方で、コーヒーを買われたことはないものの、いつもニコニコ
として、気持ちよく挨拶させていただけるなぁと思っていた方だったのです。

「失礼しました。いつもご挨拶させていただいてたもので、ついいつものように挨拶
しちゃいましたけど、すごくお久しぶりですね!」とお詫びし、「どうしてここが?」
とお聞きしたところ、なんと大家さんとお付き合いのある男性だったのです。

「なに、最近喫茶店が入ったのか?」って大家さんに聞いたら「ほれ、車でコーヒー
売ってた子が始めたんだわ」と話していただいたらしく「なんだ、なら行ってみようか」
という次第だったそうです。

なんて有り難い。
そもそもこのお店の大家さんも、ご挨拶したときに「へぇぇ、この方の物件だったのね」
と頷いてしまうほど、お顔はよく拝見し、いつもご挨拶させていただいている方だったの
です。さらに奥様も、いつもワンちゃんの散歩をされていてご挨拶させていただいていた
のですが、まさかご夫婦だったとは!と驚いたのでした(笑)

さらにさらに、大家さんがコーヒーを飲みにきてくださった折りに「たしか刈谷だったね。
実は自分も元々は刈谷の出で、まぁ田舎だから聞いても知らないだろうけど、○○○という
村でな」と話されて、またもやビックリ!その村は現在の私の住所そのものなのです(今で
こそ町ですけどね)。

こんなに離れた町で刈谷の方にお会いするだけでも嬉しいのに、まさか大家さんが同じ村の
出だとは!驚くやら嬉しいやらで、翌朝に村の天満神社様にお礼参りに出かけてしまった
ほど。

誰に感謝していいのかわからないようなことは、ご先祖様と神さまに感謝ですね。


さて話を戻して、ファミリアストレンジャーさんのご来店された翌日、偶然店先でお花の
手入れをしている大家さんにお会いしたので、ご紹介いただいてありがとうございました、
とお礼申し上げたのですが、まだその時点でも、その方のお名前がわからず大家さんに
説明し辛かったこと(笑)。

そして今日、またその方がお越しくださったので、大家さんにお礼を言うときにお名前を
存じ上げなかったので説明に手間取りました、とおもしろおかしく話したところ、やっと
お名前を頂くことができました。

お互いを見知ってかれこれ5年目?の自己紹介となった次第です。

なんだかウフフでしょ?

花の咲かない冬の日は・・・
自分の経験でしか物を言えないのですが、世の中ってうまくできてるなぁと
思うことが多々あります。
絶妙のタイミングで、当店で30年ぶりの再会を果たしたお客様同志もいら
っしゃいましたし、高校時代のクラスメイトと再会してお付き合いが復活し
たり、本当に人と人との仲がちょっとしたタイミングで急展開していくのを
目の当たりにできるのも、店に立っているからこそ。
私はいつもお客様に良い思いをさせていただいているなぁと思うのです。

最近、気持ちの落ち込んでいるお客様がいらっしゃいまして。
しばらく前から様子が違うことに気づいておりましたが、他のお客様の手前も
あり、ゆっくりお話をすることができませんでした。

が数日前のこと。その方がいらした時にちょうどお客様が一人も居ず、最近の
心の内を聞かせていただくことができました。

もともとヒマなお店です(笑)。それでも二時間もの間お客様が来店されない
のも珍しいこと。しかし今回はそれも有り難いタイミングです。こんな時、そ
の方を支えているご先祖様方に私は手を合わせたくなるのです。

ゆっくりお話することができて、その方はほんのわずかでも、ほんの一瞬でも
気が紛れたでしょうか。そうであればいいなと願いつつ。

「花の咲かない冬の日は 下へ下へと根を伸ばせ」
今までに何度も目にしたことのあるこんな言葉を、今日は初めて誰の言葉なのか
調べてみました。

安岡正篤という思想家の言葉なのだそうです。気が滅入ったり、思うように物事が
進まないときに力を与えてくれる言葉だと思います。

花を咲かすことばかりが人生ではないということを、順風満帆の時に考える人は
いないでしょう。
根を伸ばすことに専心する時期は、人が生きていく上で、なくてはならない大切な
時期だと、私は思っているのです。

深く広く根を伸ばした木や花は、ちょっとの風では倒れることがないでしょう。
思いがけない突風に耐えられるような根を張る期間を持てたことに感謝しつつ、
大切に大切に過ごしたいものです。
一期一会
今朝早くのこと。
つけっぱなしのテレビで、よく見かける健康食品のCMに
某バイオリニストの女性が登場していました。
年間120回にも及ぶ演奏会で超多忙な彼女の日常をカメラが追って
いるのですが、ある演奏会の本番直前、舞台袖で彼女が言いました。

「今回、初めて聴くお客様もいるでしょう。だから常に一期一会の
気持ちで演奏するのです。」

ああなるほど。

私も、コーヒー屋台をしていた時には、そんなことを思っていたかも。

特に、固定の店舗を持たない移動販売を営む者にとって、一度きりの
出会いとなることも多いです。だからこそ気が抜けない。常に最初で
最後に召し上がっていただく一杯のつもりで、大切に一杯のコーヒーを
提供させていただく心構えでいたいと思っていました。

常にそれができていたか?
それはお客様にお聞きしてみないことには・・・

もちろん、今のお店でも同じ気持ちで、大切に一杯のコーヒーと、ゆるりと
したわずかな時間を、忙しい貴方にこそ過ごしていただきたいと思って
いるのです。


話は変わって。

急な階段を上がった二階に店舗はあります。

屋台時代からのお客様で車椅子の方がいらっしゃいます。
彼女は二階の店舗に上がってこられません。階段の下で、携帯で呼んで
くださいます。私はオーダーをお聞きして、テイクアウト用に飲み物を
準備して、階段を駆け下ります。そしてしばしの会話。

その時店内にいらっしゃるお客様方には甘えてしまいますが、皆さん
気持ちよく協力くださって嬉しい限りです。

今は二階のバーに居候している身ですが、車椅子の方や、杖をついて屋台
にお立ち寄りくださっていたかつてのお客様方を、少なくとも入り口で排除
することのないバリアフリーのお店を作ることが、今の私の最大の目標
なのです。

路面の物件、バリアフリーに改造できる物件を探しています。
情報をお待ちしております。



プロフィール

Lazy Betty

Author:Lazy Betty
元・移動カフェオーナーの新たな野望を実現させるまでの軌跡(奇跡じゃないよ)のブログです。

愛知県豊田市駅前にてコーヒー屋台(移動カフェ)営業をしておりました。
その3年間に渡る定点観測の経験から、駅周辺に集う人々が何を求め、どんな場所を必要としているかを観察し続けた先にあるものを共有できれば幸いです。

2009年12月~2010年11月まで、豊田市駅近くの「Bar old kenny」にて、昼間カフェ部門として「The third place」を展開しておりました。現在はフリーで、傾聴屋、デリバリーのコーヒーサービスをお請けしております。

家庭ではなく、職場でもない、お客様にとって三番目の居場所を作りたいと思っています。しがらみのない、肩書きも必要ない、そんな緩やかな時間をお過ごしください。

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