<<05  2008,06/ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  07>>
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
酉年生まれのニュージーランド人
いつも夜勤の前に時間を取って、のんびりとしていかれる常連Kさん。

先週のこと。1人の外国人の青年を伴ってお越しくださいました。
以前からお話は伺っていました、同僚のMさん。ニュージーランド人です。

それが、えらく流暢に日本語で話されるのですよ。日本で生まれ育った方なのかと思い尋ねてみましたが、日本に来て3年目とのこと。いやほんとにびっくりするくらいイントネーションも日本人なのです。

日本語と英語を交えて世間話をしたのですが(ちなみにKさんとMさんは英語で会話しています)、ちょうど流れていたカーペンターズの話題から、「何歳ですか?」とつい尋ねてしまいました(外国の方に年齢を質問したのは初めてのことですがつい)。すると「26歳です」と。

私は「ああ、じゃあ私よりちょうど一回りくらい年下ですね」と思わず口にしてから、「日本では、12年で一周するんですよ」とヘンな説明をしたのです。外国の方にわかってもらえるかなぁ、と思いながら。

すると彼はいいました。
「ああ、何年、とかいうやつですね?僕は酉年です」

・・・・・自分の干支をサラッと言う外国人ですよ~。ちなみにお母様は卯年とのこと。参りました・・・

Kさんが言いました。「ね、イケメンでしょ?」。私は心を込めて頷きました。すると彼は赤くなって「いえいえとんでもない」と否定するのです。

うーん。ひょっとして背中にファスナーがついていて、中身は日本人なんじゃないの?と思ってしまうくらい日本人らしいニュージーランドの好青年だったのでした。

スポンサーサイト
私達は運命の歯車の上で
それは初めてのお客様でした。

2,3歳くらいの女の子とお母さん。かき氷を買おうとしていましたが、当店のカウンターの前で、女の子は「メロン」がいいと言い、お母さんは、当店のオリジナルメニューの「はちみつ(ブラウンシュガーで作ったオリジナルシロップと本物のはちみつをかけたメニューです)」を試してみたいと言い、ジャンケンを始めたのです。

結果。お母さんの負け(笑)。女の子は無事メロンのかき氷にありつくことができたのでした。
お母さんは、エスプレッソもオーダーされて、二人で仲良くベンチに腰掛け、お買い物の合間のブレイクタイムといったところでしょうか。

「この仕事は1人で始めたのですか?」と尋ねられたことからお母さんと会話が始まり、なんとなくこの土地の方ではなさそうなイントネーションに感じられたのでお聞きすると、結婚してしばらくは東京に住んでいたとのこと。

「でも、この子のお父さんがお空に行ったので、この子を連れてこちらに戻ってきたんです」

・・・理解するのに少し時間がかかりました。

「・・・突然だったんですか?」とお聞きすると、事故だったとのこと。女の子が生まれて二ヶ月の時だったそうです。二ヶ月・・・。あまりにサラリと言うお母さんを前にして、私は出そうになった涙を我慢しました。

「そういう運命だったんですよね。」とお母さん。そう口に出して言えるまでには、想像できないほどに心細く辛い日々を過ごしてきたはずでしょう。

「そう、人間は本当に、いつお迎えが来るかわからないですからね」と、全く気の利かない言葉しか出てこない私でしたが。

実は私自身が、厚生省から難病指定されている病気を持っているため、症状が重くなる度に、健康な人よりは死を身近に意識しつつ日々を送っているわけです。

そんな話を彼女にしました。「仕事していて大丈夫なんですか?」と反対に心配していただいたのですが、たぶん、発病してからの私の方が、過去の私と比べて明らかに日々を大切に生きていると実感しているのです。健康なままの私だったら、きっとなんとなく生きていただけだと思うのです。

「だから私には、すぐに死ぬわけではなくて、だんだんと行動範囲の狭まっていくこの病気が、一番ぴったりなんだと思いますよ」

というのは、実に本音だったりするのです。人はみんな、自分に相応のものが宛がわれていると、私は思っているのです。

でも本当に、人はいつお迎えが来るかわからないものなのです。病身の私が、これを読んでいるあなたより先に死んでしまうとは限らないのですよ(・・・縁起でもないと思われたらごめんなさい)。

運命の歯車を止めることは誰にもできません。それなら、やってくる運命を、体を張って受け止めるしかないのです。そしてそれをいかに自分自身の糧にしていくか。全ては自分の栄養素となるべきもので、ありがたい経験だと、私は信じているのです。

女の子の名前を聞いたところ、我が家の娘の名前(少し個性的な名前です)と少し似ていて、親同士でフフッと笑い合い。
「また来ますね」と彼女は笑顔で言い、手を振ってお別れしたのでした。

玉石混淆
人生の先輩であり、とても尊敬している知人のSさん。いつも朗らかでのんびりした方なのですが、昨日は来店するなり熱く語り始めました。彼は常に興味深い話や人生観を聞かせてくださるので、またおもしろい話かなと聞き始めたところ、どうも様子が違うのです。結局この記事の渦中の人だったことがわかりました.
http://mdn.mainichi.jp/culture/waiwai/etc/owabi.html

そもそも彼と彼の弟さんの興したその会社は、その筋ではかなり有名。先月も某老舗アウトドア雑誌に10ページに渡り特集が組まれていて、改めてプロフェッショナルな彼の姿を紙面で再認識したばかりだったのですが(普段は、それはそれは普通のおじちゃんなのですが)。

TVや新聞、雑誌に数え切れないほど登場している彼は、メディアに露出することの影響をそれなりに理解していたはずですが、彼らの開発した商品から、こういう問題に発展するとは想定外だったようです(最終的にwaiwaiの閉鎖のきっかけになったかもしれないですが)。

メディアの影響力は計り知れず。業界の方達は、もちろんそれをわかっているはずで。
こうしたごく一部の、この記事の元になったデジタルメディアの局長及び担当者のような存在により、常に報道に対して真摯であろうとする多くの関係者の、地道な努力を水泡に帰してしまうことの哀れさ。

強い者、影響力のある者こそ謙虚たれと切に願うのです。

箱の中
たとえば、いつも行くスーパーのレジのお姉さんを、別の場所で見かけたときに「あれ?誰だっけ?」となったりしますよね。

私はいつも車の中から顔だけ覗かせてるわけですが、他の場所で見かけたら「どっかで見た人なんだけどなー」とやはり思われることはあるのでしょう。

さて今日。

新聞を見たと岩倉市からはるばるお越しいただいたおじ様6人衆のお相手をバタバタと終えて、ホッと一息入れていると、「こんにちは!」と覗いてくださる女性の方が。

見慣れた方なのです。でも一瞬「え、誰だっけ」と考え、ハッと気付きました。彼女は、私がこの商売を始めてから4年ほど、毎日利用している有料バイパスの料金所の方だったのです。

「いや、豊田の駅の近くでやってるって聞いてたけど、まさかここだったとはねぇ」と彼女。
いつも料金所の箱の中にいらっしゃるので、間近でお話するのは初めてで、「ああこういう背格好の方だったのね」と思ったり。

この料金所の方達は、もうほとんどが顔見知りで、ご挨拶すると、皆さんに「いってらっしゃい」とか「お疲れさん」と声をかけていただくのが、いつもとても嬉しくて、料金所を通過した後はいつも自然と笑顔になってしまうのでした。

Ⅰさん、ありがとうございました。またゆっくりお立ち寄りください。

予知夢
昨夜見た夢です。

月に1,2度お越しになる60代くらいの男性のお客様から電話がかかってきたのです。
(お客様が夢に登場する事はほとんどないのですが)

その方とお電話で話したこともないのですが、もちろん夢なので、普通に会話しました。
彼は「明日、行くから」と言いました。

わざわざそれだけ宣言するために電話してくるなんて・・・と思ったところで目が覚めたのです。

そして今日。現れたのですよご本人が。
いやもうビックリ。偶然といえばあまりにもタイミングのよいご登場に、自分の予知能力を過信してしまいそうな出来事でした。

・・・いやそれだけの事です。オチも何もなくてすみません・・・


「技能五輪」と「アビリンピック」
お店と全く関係ない私事です。

「技能五輪」をご存知ですか?若手の技能職に従事している人達のオリンピックといいましょうか。種目は、旋盤、抜き型、機器組み立てのような技術種目から、造園、理容、製菓など、様々な分野に渡ります。

私が某企業に入社した時、自宅から少し遠いことから寮に入ったのですが、最初に同室になった先輩の彼氏さん(後に結婚されましたが)が、技能五輪国際大会で金メダルを受賞し、その時に技能五輪の存在を知ったのです。

さて、何ヶ月か前のことですが(ひょっとしたら昨年だったか?)、TVで技能五輪国際大会の特番があり、私のいた会社からは毎年メダル受賞者が出ている関係もあり、興味を持って見てみました。
2007年度の国際大会は静岡県で開催されたのですが、「アビリンピック」も県内で同時開催されたとのこと。

「アビリンピック」?初めて聞く言葉でした。障害を持った人達による技能五輪のことだそうです。

番組では、メダル受賞者達がゲストで登場し、技能五輪の体験談を披露したり苦労話や失敗談などをそれぞれに語り、おもしろく見ていたところ、ビックリ。なんと知っている人が出演しているのです。

「アビリンピック」のある部門で金メダルを獲得したと出演していた彼女は、私が寮で二年目に同室になった、聾の先輩だったのです。

まだまだ現役でがんばっている先輩を、画面であれ見ることができて、本当に懐かしく思ったのでした。

実は昨日、私の在籍していたその企業の社報(訳あって、今でも手に入るのです)を読んでいたところ、受賞者一覧のところにその先輩の写真と名前が載っているのを発見。TVでは画面がどんどん変わるのでゆっくり見られなかったのですが、写真でじっくり見る先輩の顔は、以前と変わっていなくて、とても嬉しく思いました。

入社二年目の時、彼女と同室になり、私は正直とまどいました。耳が聞こえないという人と一緒に生活したことがなかったので心配だったのです。当時私は忙しい職場、職種で、門限の21時にも間に合わないような残業ばかりの毎日。そんな私と彼女を、100人以上いる寮生の中でわざわざ同室にした寮監長の意図が理解できませんでした。

「こんな忙しい私に、彼女を世話してあげることができるわけないじゃない」と思ったのです。

が。それは私の傲慢と、聾を含む障碍を持った人達への偏見だということに、ほどなく気付かされたのです。

彼女は、目覚まし時計をセットしてはいますが、ベルの音は聞こえません。彼女は私に「時計がなってももし私が起きなかったら、起こしてね」と最初に頼まれたのでした(手話もいろいろ教えてもらったっけ)。

ところが。彼女は、目覚ましが鳴る前に、必ず起きるのです。目覚まし、全く必要ないのです。本当に念のために用意しているだけみたいで、私が起こしてもらうのが常でした(お恥ずかしい・・・)

私にできたのは、寮内の放送を彼女に伝えることくらい。あとは私がお世話になりっぱなしだったのです。寮の食堂もとっくに終わってから帰寮する私に、軽い食事を用意して待っていてくれたり、私の仕事のグチを聞いてもらったり。本当にお世話になりました。そしていい経験になりました。

当時、手話も教えてもらったのですが、残念ながらサラッと使いこなすまでには至らず。もう一度機会があれば習ってみたいものです。

寮生活。おもしろかったなぁ。
天を仰ぐ
幸田町はカメリアガーデンでの出店中の出来事です。
カウンターの前を自転車で通り過ぎた年配の男性。と思ったらピタッと止まり振り返って「コーヒー?」と。外見は日本人ながら、そのアクセントから日系ブラジル人と思われました。

「そうです。コーヒーを売ってます。」とお答えすると「後で寄ります」と言われてお店の方へ。
そしてしばらくして彼は戻ってきました。そしてエスプレッソをご注文。抽出中に彼はこんな事を言われました。

「日本のコーヒーはストロングじゃない。私はブラジルに帰ると一番にコーヒー(屋?)を探します。ブラジルのコーヒーはおいしいです」普段からブラジル人のお客様はチラホラお見受けします。みなさん濃いコーヒーにお砂糖をたっぷり、というのが一般的な飲み方のようです。なので、目の前の彼の話に私はフンフンと頷きつつ、出来上がったエスプレッソをお出ししました。

彼は、まずお砂糖を山盛り一杯入れてかき混ぜ、一口飲みました。と、目を閉じてしばらくジッとして、それから天を仰いで「ブラジルのコーヒーだ」と一言。

そしてほんの30ccほどのエスプレッソを、一口ごとに口の中で転がすようにしては「おいしい」「おいしい」と言ってくれるのです。

その様子に、思わず私が泣きそうになりました。
地球の反対側です。国内旅行のように気楽に帰る距離ではないでしょう。
それだけに、故郷を懐かしむ味のコーヒーを提供することができてよかったと思ったのでした。

帰り際に彼は、次の出店日を確認し、「また来ます、ありがとうございました」と帰られたのでした。

「ありがとうございました」?いえいえとんでもない。私の方こそ心から、ありがとうございました。と言いたい出来事でした。
おばさ~ん!
いつものようにお客様と四方山話をしていると、遠くから「おばさ~ん!」という声が。そちらに目をやると、ちょくちょく駅前広場に集まっているヤンチャな子供たちの一人。でも最近見かけなくなっていました。

中学三年のMちゃん。一ヵ月半ほど前から話をするようになった女の子です。名前を知った当時は普通に黒髪だったような気がするのですが、見事な金髪になってる。

「あれ?染めたんだ」と言うと「違うよー、前の黒い方が染めた色だったの。だから色抜くの大変だったんだ~」と言う。

「なんでわざわざ黒く染めたわけ?」と尋ねると、
「修学旅行に行ってたから」という答え。

普段はよくても(いやいや、決してよくはないと思うのですが)、修学旅行には金髪じゃつれてってもらえないってことなのかな?(その辺の経緯はわからないけど)

広場でたむろしている子供たちは、我が家の子供たちと同じ年だったりするので、格好はヤンチャでも、かわいいものです。タバコ吸ったりしてると「冷え性になるし、まだ成長期だからやめとき」と注意しても「へへーんだ」みたいになかなか聞いてももらえないのですが。。

でも、広場でハンバーガーなんか食べたりしてゴミをその場に捨てるので、大きなゴミ袋を渡し、「悪いけど、ゴミ入れてくれる?」というと、みんなちゃんと拾ってくれる(吸殻もね・・)。いい子たちなのです。憎めないなー。でも広場にゴミ捨てるなー!ちゃんと買ったお店に帰してきてよ~、と口をすっぱくして言っているのですが。

でもタバコはよくないわ。若いうちから血管に影響でるらしいしね。

しかし遠くから「おばさーん」だけはちょっとねぇ。いや、息子たちの友達からはもちろん「おばさーん」と手を振られたりするのだけれども・・

「おねえさん」と呼ばれるのも白々しいし、何か良い呼び名を与えねば・・・
「編集の自由」判決。
昨日最高裁で「編集の自由」に基づく判決が言い渡されたそうですね。

被取材者の、取材に応じる意図はそれぞれでしょうし、意図に沿わない編集をされたとしても、それを見た人達に広く興味を持ってもらうという意味では、価値のある取材もあるだろうと思うのです(最近、ボンで開催された「生物多様性条約第9回締約国会議(CBD COP9)」にNPOとして取材された友人曰く)。

が。

当方の場合、今回の判決のように政治的関与を含んだ重い事例ではないにせよ、人一人が亡くなったという当方の経験談や、お客様との大切な会話を、取材者側の意図する特集の枠にはめ込むために、必要な部分だけ再編集されて残念です。

人一人の命を軽く扱われたような感覚。とはいえ、元はと言えば当方が軽く話してしまったせいでしょう。亡くなった彼の事を話したことに罪悪感を感じることがあろうとは思ってもみませんでしたが(少なくとも、あの時花束を置いて帰った男性は、当方が彼の話をした事で少しは思いとどまってくれたと思っているので)。

どんな事柄にせよ、無知とは怖いもので。関わらなければ決してわかり得ない部分って意外と多いことを知りました。

とはいえ、タイトルの「編集の自由」も、メディアを介して知ることのできたものなので、なんだか皮肉。

「表現の自由」とは、メディアにだけ許される言葉では決してなく、被取材者にとってもあてはまる言葉であるべきで。曲解される内容になってしまうことを恐れて口を噤んでしまう当事者が増えないかと。

ど素人ながら、取材を基に記事にされた者としての感想です。

昨日、新聞記事を見たと、某TV局の方がお越しになりましたが、やっぱり怖いですね。
一億円とオヤジギャグ
初めてのお客様。60代と思われます。

「コーヒー。200円でいいのか?」と言われ、200円を頂戴し。
ドリップしながら私はいつもの質問をしました。

「お砂糖とミルクはお入れしておきますか?」

するとお客様。「ミルクだけ。ああ、あんたの母乳にしてくれるか?」

おお。

100万年前のオヤジギャグ。

私は久々だなぁと思いつつ、お決まりの返答をしたのです。
「それはかなりお時間がかかりますので無理ですねぇ。それに200円ではそこまでサービスできないんですよ」

するとそのお客様、こう言いました。
「金かぁ。株で損してなぁ。2億が半分になってな」

2億。それはそれはすごいですねぇ。

でもそれだけお金を積んでしても、200円でキャバクラ気分を味わおうとするセコくて下品なその性分は治らないでしょうねぇ。



男やもめの独り言・・・
某会社を定年退職してから、某大学の客員教授として愛知県にいらしているYさん。一ヶ月ほど前からのお客様です。

関東在住でしたが、奥様が数年前に他界し、息子達もそれぞれに独立していたので、地方での客員教授の話に、「もう東京にしがみついてる理由もないし」と、お1人で豊田に。

研究開発をされているので、技術的な意味での目標はあるのですが、自由に動ける我が身を顧みて、「昔みたいに、妻のために、子供達のためにという張り合いがないというのは、こんなに寂しいものなのか」とポツリと。

そんなYさんが今日、目を赤くしてご来店。コーヒーを飲み、しばらくしてから、
「さっき、息子の1人と電話で話してね」と口を開き。

3人の息子さんたちはそれぞれに自立した生活を送っているそうですが、一人地方に引っ越した父親のもとに集まる計画を立てているそうです。一人一人が都合のいい時に来てくれることはあっても、3人揃って、ということは初めてで、息子達が自分を気にかけてくれることも嬉しいし、今、生きる張り合いがないと思っていたけれど、子供達がいて本当によかったと。

「電話で話していて、急に泣けてきてね。」と続けます。
「昔話をすると、女房の話になるから避けてたんだけど、やっぱりだんだん話題がそっちにいっちゃってね。息子は、ほんの些細な事でもびっくりするくらい覚えてるんですよ。それが嬉しくて。ああ本当に息子達がいてくれてよかったなぁってつくづく思いましたね」

親思いの、素晴らしい息子さん達だと思いました。
で、そんな素晴らしい息子さん達に育て上げたのは、他ならぬ貴方と、貴方の奥様なのですよね。

Yさんの話をお聞きして、私は普段滅多に意識しない自分の老後に、少しばかり思いを馳せたのでした。







DVD出演~
タイトルが大袈裟ですね、すみません・・・

昨年の11月に、当店をとあるロケの背景に使っていただいたという話を古い方のサイトに書きましたが(当ブログ内のフォトギャラリーにその時の画像あり)、そのDVDがやっと公開になったらしく、先週、新聞記事になったそうです。

地域版に載っていた記事なので、私は知らなかったのですが、ある方がコピーしてくださいました。ありがとうございます。

内容は、豊田市が進めている道路交通システムをわかりやすく紹介したDVDで、ほんの一瞬、当店が映ってます(笑)。

2月には完成したDVDが手元に届いていたのですが、当時はまだ市長さんがご覧になっていないということでなかなか陽の目を見ず、やっと今回の発表になったようです。

しかし記事を読んで、何より驚いたのが、制作費が900万円ってとこ。

・・・・900万円?
映像ってすごいんだ~。

ふうううん。

・・・ということで動画配信してるそうですので興味がおありでしたら。
http://michinavitoyota.jp/main/ 
「未来の交通フロンティア都市」ってタイトルだったかと。真ん中あたりでちらっと登場してます。携帯の画面に注目ね(小さ過ぎてわからないかな)。

でもほんと、使っていただいて感謝です。ありがとうございました>関係者の皆様。

プロフィール

Lazy Betty

Author:Lazy Betty
元・移動カフェオーナーの新たな野望を実現させるまでの軌跡(奇跡じゃないよ)のブログです。

愛知県豊田市駅前にてコーヒー屋台(移動カフェ)営業をしておりました。
その3年間に渡る定点観測の経験から、駅周辺に集う人々が何を求め、どんな場所を必要としているかを観察し続けた先にあるものを共有できれば幸いです。

2009年12月~2010年11月まで、豊田市駅近くの「Bar old kenny」にて、昼間カフェ部門として「The third place」を展開しておりました。現在はフリーで、傾聴屋、デリバリーのコーヒーサービスをお請けしております。

家庭ではなく、職場でもない、お客様にとって三番目の居場所を作りたいと思っています。しがらみのない、肩書きも必要ない、そんな緩やかな時間をお過ごしください。

お客さま
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
ブログ内検索
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。