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ありがとうございます。
先週は、不本意かつ勝手ながら数日間の臨時休業をいただきました。あと少しがんばればお盆の長期連休をいただく予定でおりましたので、なんとか乗り切ろうと思っていたのですが、根性が足りず、ご心配、ご迷惑をおかけして申し訳ないことでした。そしてありがとうございました。

おかげさまで、土曜日の幸田町はカメリアガーデンにて完全復帰(笑)を果たし、昨日は久し振りの豊田市駅西口広場にての営業。ホームグラウンドがあることの有り難さを実感したのでした。

さて最近、懇意にしていただいているお客様から、「心のバイブル」と大切にしている本をお借りしています。既に絶版になっているそうですが(30年くらい前の出版物なので)、タイトルが「ありがとう」。ありがとうの気持ち、感謝の気持ちは、日々の生活の中にどれだけ詰まっているか、という事を再認識させられる内容でした。その中でも印象深い文章がありました。

「同じようなお店がたくさんある中で、お客様は、私のお店を選んで来てくれた。わざわざ電車に乗ってきてくれた。なんて有り難いことだろう。いくら感謝してもしきれない」というもの。

そういえば、名古屋時代から、お忙しい時間の合間を縫ってお越しくださる古いお客様がいらっしゃいます。今でも、お住まいと会社のある名古屋から、時間を見つけては高速でお越しくださる常連のYさん。馴れ合いになってしまいそうなほど親しくさせていただいているのですが、こんな小さいお店を忘れずに顔を出してくださるそのお気持ちを、本当に嬉しくありがたく思っているのです。

そして、駅周辺はコーヒー激戦区と言っても過言ではありません。お隣の某ファーストフード店では、先月頃、数週間に渡って毎日毎日、アイスコーヒーの無料配布をしていました。当店の目の前で(笑)。試飲サイズではなくて、立派に一杯分を、店先で作ってはどんどん配布しているのです。

なのにそれには目もくれず、当店にまっすぐ歩いてこられる常連の皆様に、本当に本当に有り難いという言葉以上の言葉はないものかと思うほど、感謝の気持ちを抱いたのでした。そういう意味で、某ファストフード店さんにまで、感謝したり。

不満の種は、探せばいくらでもあるかもしれません。でも感謝の種も、ありとあらゆるところに存在しているのです。どちらの種を見つけた方が己にとって得なのか。

わざわざ不満の種を探して歩くような者ではありたくないと思っているのです。


話は変わりますが。
6月に、新聞に思いがけず大きく取り上げていただいたおかげで、その後、数社のメディアから取材の申し込みをいただきました。取材内容は様々で、「派遣社員」について取材したいというお話から「現代人の孤独」を特集するに当たってのモデルケースとして取り上げたいと言われたり、「こんな商売があります」的な内容だったり。やっと最近はそういった方のご来店やお電話も落ち着いてきたかなと思っていた矢先、昨日も一件、某TV局からお電話をいただき、こんな細々と営業を続けている当店にわざわざ連絡をくださることに感謝し恐縮しっぱなしなのですが。

ただ、もったいないほどのお話とは思いつつも、現在は全ての取材をお断りしております。取材は、私とお客様との間に果たして必要か、を考えた末のことです。大きな仕事や、大きく取り上げていただくことに欲がないと言えば、正直嘘になりますが、この仕事を続けていけるエナジーは、やはり日々お客様からいただいているという事実。そこを忘れてはいけないと、日々心しているのです(って、毎日お客様とダベッているようにしか見えませんよね・・・事実そうかも)。

「どんなきっかけでで来店されたにせよ、全てがご縁だよ」と言われたことがあります。確かに、新聞に載ったことで「こんな近くにこんな店があったんだ」とご来店くださったお客様もいらっしゃいました。それもご縁だと思います。

そう考えると、どんな媒体にも出て良いのかな、とも思うのですが、たぶんそれは私のキャパを越える事になることは必至。だから今のままで、細々とやっていくことが、今の私にはベストかなと思っているのです。

なんて言いながら、どこかのTVでピースサインしてる私を見つけたら、鼻で笑ってやってください(笑)。

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サーブを帰す技術(旧HPより転載)
子供って、それぞれに持って生まれた資質があって。

それは言ってみれば、ツムジの位置や数が違うようなもので、それ
自体にはなんの問題もないのです。ただ大切なのは各々のツムジの
数や流れを、育てる側の人間が知っていてやること。

みんなと同じ物が欲しいと言う子もいれば、みんなとは違う物が欲
しいと言う子、みんなよりたくさん欲しいと欲張る子、それぞれで。

それぞれの要求に応えてやることができないときには、
「みんなと同じにはできないわけ」
「みんなと同じにするわけ」
「ひとりだけ欲張ることは、お行儀の良い事ではないこと」
などそれぞれに我慢のしどころを諭したり。

親の愛情を受ける子供の器にもいろんな大きさや形があって。

子供の目を見て頷いてやるだけで満足して、あとは振り返らずに走
り出してしまう子もいれば、密着することでしか愛情を受け取るこ
とができない子、ひたすら言葉で愛情を確認したがる子、さまざま
です。

以前は、愛情を溜め込む器の大きさが、子供によって違うから、同
じ愛情をもってしても「まだ足りない(器が愛情でいっぱいになら
ない)」と訴える子供がいるんだと思っていましたが、最近ちょっ
と見方が変わってきて、今はこんな風にも思うのです。

テニスのサーブに例えてみると、上手な子は100球中100球返
せるのに、不器用な子は100球中30球しか返せない。愛情をボ
ールに置き換えてみて、同じこともありえるのではないかと。

不器用ってことね。

そしてそれは大人にも十分にあり得る状態だと思うのですよ。
サラッと見渡してみてください。いるでしょそんな人(笑)。

・・・で、すみません。私、テニス下手です(笑)せっかくのボー
ルをボロボロ落としておきながら「ちゃんとサーブしてよ!」と頭
から湯気を出すタイプです。たまにいますよね、唐突に癇癪球を破
裂させる子供。あれですよあれ(始末に負えないですな・・・)。

どうかそんな不器用な人間を理解してやってください。赦してやっ
てください。「こちらは好意を持って接しているのに・・・」と思
った時には、きっと相手側は、受け取る技術があなたに及ばないだ
けなのですよ。駄々っ子を相手にするように大らかに接してやって
ください。どうかお手本を見せてあげてください。

不器用な人間の1人からのお願いでした。
(2007.2 旧HPより転載)
花束をいただいた理由(旧HPより転載)

遠方から出張で豊田に滞在されていたという男性Kさん。

「こういうお店に寄るのは、オヤジには勇気がいるんですよね。」
とおっしゃるので、
「都会にはこういうお店もたくさんあるのではないですか?三河の
オヤジ達(三河のオヤジ様達、ゴメンなさい)よりも余程慣れてら
っしゃるのでは?」
と言いましたら「どこへ行ってもオヤジはオヤジですキッパリ」
なんて軽口を叩き。

そんな他愛もない会話をしていたら、彼はポツリと
「こんな普通の会話をしたのは何日ぶりだろう」と言いました。
普段から機械や設備に向かってばかりで、家に帰っても一人。
普通の会話を楽しむ機会がほとんどないようでした。

とても暇な時間帯でもあり(誰ですか、いつも暇だろうと思った人)、
私は車の外に出て、Kさんと話を続けました。

最初は仕事の話。そこからなんとなく彼は身の上話を始めました。

不遇な子供時代だったそうです。親に甘えられる環境ではなく、でも
妹さんと二人で支えあって大人になり、妹さんは幸せな結婚をし、ダ
ンナ様と二人の子供さん達、絵に描いたような幸せな生活を送ってい
て、兄として妹さんの幸せな生活が、そのまま自分の生きる張り合い
だったそうです。
脳梗塞の母親の介護を10年間、一人で続けて、何年か前にその母親を
看取り、その後は一人暮らし。妹さんの幸せな生活だけが、本当に自分
の支えだったと。

なのにその妹さんは、昨年の暮れに突然の交通事故で亡くなってしまっ
たと。

もう今は、一体なんのために、仕事をしているのか、自分は何のために
生きているのか、生きる目的がないって辛いです、と。

彼は話を続けました。

母親の脳梗塞も、たまたまその日の朝に、喧嘩して母親は怒って自分の
部屋にこもってしまい、しばらくして、大きな物音が聞こえて(それが
倒れた時だったらしい)、でも自分も怒っていたので、母親の部屋を覗
くこともなく一昼夜放置。翌日、全く部屋から出てこないのでさすがに
気になって部屋を覗いたら、目は開けているけど動けない母親が。

あの時すぐに気付いて救急車を呼んでいれば、と、懺悔しつつの介護。
どう思い出しても、自分を責める以外にないと。

途中から、Kさんの話に、冷静でなくなっていく自分を感じました。

Kさんの年齢と、ずっと独身で母親を介護してきたというその身の上が
この春に自殺した私の友人と全く同じで。

Kさんの、母親に対する後悔の気持ちが、私の友人が自殺する直前に
最後に会いに来てくれて、辛い気持ちを打ち明けてくれたのに、気遣っ
てあげられなかった、私の後悔の気持ちと全く同じで。

どういうご縁なのでしょうか。
とても偶然とは思えず、「実は・・」と自殺した友人の話をしたら、

「実は自分も、家に帰ったら死のうと思ってた」
と涙をポロポロとこぼしながら告白してくれました。
「でもあなたに聞いてもらえて嬉しかった。母親の事も他人に話した
ことがなかったし、妹の事も聞いてもらえる人もいなかった」と。

「ちょっと買い物をしてくるので、荷物を預かってもらえませんか」
と言われ、しばらくして戻ってきた彼は、抱えきれないほどの、カスミ
ソウだけの花束をくださって、帰っていかれました。

Kさん、必ずまたお会いしましょう。お待ちしています。

(2006.12 旧HPより転載)
親の責任
数日前の事ですが、小学生の娘が、単発のイジメ?に遭いました。
プールの中で、他の子供二人がかりで、1人に頭を水中に押さえられ、1人に手を引っ張られ。娘の「おかーさん、今日私死ぬかと思った・・・水をいっぱい飲んで溺れるかと思った」という言葉から発覚。たまたま翌日は、休業日だったため、朝から学校に乗り込み。

担任は、その出来事に気付いておらず、平謝りだったのですが、「プールの底に沈んでるのを発見された後で、気付きませんでしたすみませんでした、じゃすまないでしょう。明らかに監督不行き届き及び児童に対する教育不行き届きではないですか」と断固抗議(3人目の子供にして初めての経験でしたが)。

しかも、娘に聞いた話を説明している時に「二人がかりで」と言ったところで、担任の先生が「○○ちゃんと××ちゃんですか?」と個人名を言うのです。当たっているのです。実はうちの娘だけではなく、他にも、その二人から被害に遭っているらしく(手当たり次第のようで)、他の親御さん達からも苦情の出ている子供達だったのです。

しかし、プールでの被害は、我が子が初めてだったようで。少しのことならともかく、水は怖いです。シャレにならないです。一歩間違ったら殺人じゃないですか。

もし溺れてプールの底に沈んでるのを発見されても、死人に口なしでしょう。そういう事をされて溺れた、なんて証明する人もいないということも充分にあり得るわけで。

今回ばかりは本気でハラワタの煮えくり返る事件でした。

ただ、担任の先生の実に素早い対応で、本人達も自分のしたことを認め、相手方を家庭訪問までしてくださり、ことの次第を報告。それまでの数々の苦情は、その都度、子供達を指導するに留まり、親御さんの耳には入れていなかったとのことで(それもひどいでしょう)、今回初めて聞くわが子のいたずらに親御さんたちは驚いたようですが。

でも、これをきっかけに、加害者の子供達が自分の行いに気付き成長してくれればと思います。

いつも思います。
子供が成人するまでは、子供のしでかした事は、明らかに親の責任だと。こうした事件があった時には、親の責任において、親自身が頭を下げるべきだと思うのです。

親は、いくら自分の子供とはいえ、いずれ社会に出る一個の人間をお預かりしている、という自覚と責任を持って子育てすべきだと、私は思っているのです。

我が家には、高校生、中学生、そして小学生と三人の子がおりますが、改めて親としての責任とは何かを考えさせられる出来事でした。
心の叫びが届きましたか?
昨日のこと。店を閉めて帰り支度をしていると、いつも献血のついでにお立ち寄りくださるお客様が歩いてくるのが見えました。

「あ、もう終わりでした?」と言われ、「はあ申し訳ありません・・もうエスプレッソマシンの火を落としてしまったので(いつもカフェラテをオーダーされる方なので)」とお詫びしました。

「そっかぁ。じゃ、また来ますね」と言ってから彼は
「あ、そうそう、これあげます」と粗品みたいな箱を差し出してくれたのです。箱には「献血ありがとうございました」と書いてあり、ちょっとした品物なんだなと推察。
「今から職場の飲み会なんだけど、こんなの持って行くのもめんどくさいし、あげますよ」と言われたのです(彼はいつもカバンを持ってない人なので)。

「いいんですか?じゃありがたく頂戴します~」と言って受け取り、箱をよく見ると「チャーミーvクイック」と書いてあります。ああ食器用の洗剤ね。

と認識した直後、ハッと思い出したのです。
自宅でそろそろなくなりかけていた食器用洗剤が、いよいよなくなり、その前夜は、容器の中に水を入れ、うっすーい洗剤でなんとかしのいだことを。

「明日こそ絶対買わなくちゃ」と思い、翌朝は洗剤なしで食器を洗い。

でも仕事してたら、やっぱりそんなこと忘れてるじゃないですか。箱の「チャーミー」の文字を認識した瞬間に「あ、そういえば洗剤、買って帰らなくちゃ。思い出してよかったよかった。・・・って手元に来てるじゃん」みたいな思考の流れw

いやー。
私の心の叫びが、まさか貴方に届いてたとは。ありがとうございましたー。

頂き物の話題が続いてしまいました。感謝感謝です。
バスに乗ってきた理由


いつも、5キロほど離れた会社の寮から、マラソンの折り返し地点として当店をご利用くださっているSさん。

今日も、いつもと同じトレーニングウエアでお越しくださいました。最近は、ほとんどアイスコーヒーばかりオーダーされるのですが(走ってきたら暑いですもんね)、今日はホットコーヒーをオーダーされたのです。私が「ほんとにホットでいいんですか?」という意味を込めてSさんのお顔を見ると、「今日はバスで来たから」とのこと。

へええ、初めて聞いたけど、そういうこともあるんだ、と思いつつ、コーヒーをお作りしてお渡ししようとすると、彼は大事そうに透明のプラパックをコーヒーと引き換えのように渡してくれたのです。サクランボがいっぱい入ったパック。

「家から送ってきたから」とSさん。田んぼがあるという話はお聞きしたことがありましたが、サクランボも、お店に並んでいる物よりも遥かに立派でピカピカなのです。

「さすがに、これをリュックに入れて走るのは・・・ねえ」と彼。

え。じゃあサクランボをくださるために、マラソンの片道をフイにしてまでバスでお越しくださったのですか?

故郷から送ってきた、大切な、親御さんの思いもこもったサクランボでしょう。プレゼントをいただいた嬉しさよりも、Sさんが「大切な故郷」そのものを、お裾分けしてくれようとしたお気持ちが嬉しくて嬉しくて。

頂くのももったいないくらいだったのですが、なにせ生もの。新鮮なうちに頂く方がと思い、娘と一緒に頬張ったのでした。
他人の不幸
いわゆる「不幸」な境遇の人を見て「あの人に比べたら、自分はなんて幸せなんだ」と思うこと。
病魔と闘い亡くなった人に対して、孤独と辛さだけの一生のように勝手な想像をし、「自分はまだまだ大丈夫」と思うこと。「あの人のがんばりに比べたら、まだまだ自分は努力が足りない」と思うこと。

あなたの幸せは、他人の不幸をものさしにして、やっと実感できるものですか。

見聞きする他人の不幸がなければ、自分自身の幸せを感じることができませんか。

あなたの努力は、あなた自身が納得するだけでは足りませんか。

相手を思いやる「可哀想」「大変そう」という感情があるのは人間として当たり前の感情だと思うのですが、それを我が身に置き換えて考えることの愚かしさ。

あなた自身の幸福感は、誰かの不幸を積み上げた塔の上にしか成り立たないものでは決してないことを、どうかわかって欲しいのです。
プロフィール

Lazy Betty

Author:Lazy Betty
元・移動カフェオーナーの新たな野望を実現させるまでの軌跡(奇跡じゃないよ)のブログです。

愛知県豊田市駅前にてコーヒー屋台(移動カフェ)営業をしておりました。
その3年間に渡る定点観測の経験から、駅周辺に集う人々が何を求め、どんな場所を必要としているかを観察し続けた先にあるものを共有できれば幸いです。

2009年12月~2010年11月まで、豊田市駅近くの「Bar old kenny」にて、昼間カフェ部門として「The third place」を展開しておりました。現在はフリーで、傾聴屋、デリバリーのコーヒーサービスをお請けしております。

家庭ではなく、職場でもない、お客様にとって三番目の居場所を作りたいと思っています。しがらみのない、肩書きも必要ない、そんな緩やかな時間をお過ごしください。

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