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介護社会
我が家が購読している某新聞で、少し前まで認知症とそれを取り巻く社会の問題についての特集が連載されていました。認知症の母親を一人で介護し続けた挙句の尊属殺人の事件を追いながら問題を探るものでした。

連載はとても興味深く、毎回何度も読み返しました。それは知人の環境と状況が酷似していたのです。

数年前のことですが、彼は私がコーヒー屋台をしていた時のお客様でした。当時40代後半。
平日の昼間に気楽な服装でブラリとお立ち寄りくださるため、普通の会社員とは思えませんでしたが、その通り、自宅でwebデザインの仕事をしているとのことでした。

毎週2,3回お越しいただいているうちに、彼は少しずつご自身の身の回りのことを話してくださるようになったのですが、それが「認知症の母親と二人暮らし」だったのです。
その二年ほど前に父親を亡くしてから急に症状の進んだ母親の話を「ヤカンは笛吹きケトルにしても何度も使えなくなり、鍋も何度真っ黒にしたかわからない」と言い、彼には二人の妹さんがいらっしゃいましたがどちらも嫁いでいたので、独身だった彼が成り行きで介護することになったのは自然なことだったと思います。

彼が当店の前でベンチに座ってコーヒーを飲んでいると携帯がなることが何度かありました。薬で眠っている合間に当店でコーヒーを飲んだり用事を済ませたりしているとのことでしたが、起きてしまうこともあるのでしょう。私に聞こえないように少し離れた場所で、電話口で母親に電子レンジの使い方を教えていて、「だから、その赤いボタンを押すんだよ。昨日はできたじゃない!」と声を荒げているのが聞こえてしまったこともあり、認知症というのは本当に、昨日できていたことが今日できなくなるんだ、と改めて知ったのでした。

「もし起きた時のために、お皿にラップしてテーブルに置いてきたんだ。レンジで温めるようにメモを書いて。ふざけているのかと思うくらいだよ」と言われていたのが印象的でした。

そんな彼自身も、いろんな持病を持っていて、常に薬を手放せない生活でした。

彼が当店にお越しくださるようになって半年ほどたった頃、彼は体の不調のため検査したところリンパ腫が発見されました。リンパ腫とはいっても良性と悪性とあるそうで、精密検査を一週間後にしないといけないと彼は言いました。

「検査で一日家を空けるのも大変なのに、リンパ腫なんてやっかいな病気でもし長い入院になったら、母の面倒と飼っている猫達の面倒を、一体どうすればいいんだろう」と彼は言いました。車で30分ほどの場所に叔父夫婦が住んでみえるとのことでしたが、頼るのも申し訳ないし、と言っていました。

口には出しませんでしたが、きっとお母様の面倒だけでなく、入院中の自分の世話を頼める人もいなかったのを気に病んでいるようでした。

私は、自分の経験のなさからうまく答えて上げられずに歯がゆい思いをしたのですが、その翌日、彼は自殺しました。
知れば知るほど穏やかで優しい方でしたので、ずっと抱え込んでいたのでしょう。それに様々な病気を抱えていて、もう疲れてしまったのだと思います。

私は今でも、あの時の彼に、もっとしてあげられることがあったのではないかと自問自答します。

私の無知と不勉強が、彼を死に追いやったのではないかと自分を責めました。一ヶ月で体重も5,6キロ落ちました。
コーヒー屋台の車を運転して仕事場に向かう途中で、胸がくるしくなり涙が止まらなくなり、しばらく休業せざるを得ませんでした。

彼がそれなりの機関に相談するように勧めたり、なにかできることがあったのではないか、もし私がもっともっと認知症や、それを取り巻く社会のことを知っていたら、お身内に実情を伝えていたら、などと、考えは尽きません。

彼が亡くなった後に何度か彼の上の妹さんと話す機会がありました。お母様は結局、上の妹さんが引き取られたのですが、「まさかこんなに母の状態が悪くなっているなんて夢にも思わなかった。電話してもいつも“大丈夫大丈夫、そんなに大したことないから”としか兄は言わなくて、それを真に受けてこまめに様子を見に行かなかったことが悔やまれる。母親なのに、全く目が放せなくて、一日中気が抜けない。こんなに大変なことを兄にまかせっきりにしていて申し訳なかった」とおっしゃっていました。彼女も、それまでのフルタイムの仕事をやめて自宅でお母様を介護しているとのことでした(現在の状況は全くわかりませんが)。

いろんな人がお店に来ます。
その人が抱えているものを話したい時にちゃんと聞いてあげることができ、話したくないけれどたまには外に出て息抜きしたい人をそっとしておいてあげられるような、間口の広いバリアフリーのお店を作るべく、物件探しをしています。

傍からみたら全く問題ないようでも、気持ちを病んでいる人も意外と多いので、しかるべきときに、しかるべき機関を紹介してあげられるように知識も蓄えるべく日々勉強しております。

前出の彼は、赤の他人でしかない「コーヒー屋の人」だからこそ、気楽に御自身の身の上を話してくださっていたようで、生活の大変さを仕事上の付き合いのあった方や妹さんたちには決して話していなかった。深い悩みこそ、近い人には言えないということは心理なのだと思います。

私はそんな人達にとって、いかに「誠実な通りすがり」になれるのか、まだまだこれという方法は見つけられないのですが、それでも公的な機関には気後れする人達と機関との橋渡しになれればと思っています。

彼の場合は自殺だったため、事件としては扱われませんでしたが、間違いなく介護社会の問題の一面であると思うのです。
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プロフィール

Lazy Betty

Author:Lazy Betty
元・移動カフェオーナーの新たな野望を実現させるまでの軌跡(奇跡じゃないよ)のブログです。

愛知県豊田市駅前にてコーヒー屋台(移動カフェ)営業をしておりました。
その3年間に渡る定点観測の経験から、駅周辺に集う人々が何を求め、どんな場所を必要としているかを観察し続けた先にあるものを共有できれば幸いです。

2009年12月~2010年11月まで、豊田市駅近くの「Bar old kenny」にて、昼間カフェ部門として「The third place」を展開しておりました。現在はフリーで、傾聴屋、デリバリーのコーヒーサービスをお請けしております。

家庭ではなく、職場でもない、お客様にとって三番目の居場所を作りたいと思っています。しがらみのない、肩書きも必要ない、そんな緩やかな時間をお過ごしください。

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